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立ち呑み日記・太平燕 [真夜中]

太平燕(タイピーエン)って、熊本では知らない人のいないご当地グルメの春雨汁麺なんですってネ。

ただ今、年末の一時帰国からパリに戻るJALの機内。

到着間際の二度目のお食事にこれまでもモスバーガーや吉野屋の牛丼が出てヘーエと思ったことがありましたが、今回は太平燕(タイピーエン)でした。

本場熊本の老舗・紅蘭亭のものだそうで、プレートにはくまもんのイラストが躍(おど)っています。

大平燕(タイピーエン)は明治時代に華僑がもたらした一品料理で、起源の中国ではワンタンの浮き身入りスープ風だったのを日本人の嗜好に合わせ春雨汁麺に改良したのだそうな。

機内食のこれは透明スープも春雨もやさしい味つけで、別添えのツナと味付きうずら卵とレタスを加えまぜまぜします。

ただ、長時間のフライト中で茫洋(ぼうよう)とした頭では食べ方の栞(しおり)通りちゃんとなぞるのはなかなかむずかしい。

ワタシなど味付けうずら卵とツナとレタスを前菜のサラダと思い込んでぱくっといっちゃいました。

あと少しで到着だな、と、ほっとしながらズルズルズルやっていると、慌ただしかった実家滞在をいやがおうでも振り返っちゃいます。

今回、あろうことか子どもらはついて来ませんでした。必然的にフランス人のオトーサン(ワタシのオットです)も
居残りとなり、ワタシ一人の気まま旅。

パリの年末はクリスマス市のスケートリンクやらパジャママーティーやらが待ち受けていて、子どもらはおともだちとのつきあいのほうが格段に楽しい、というわけです。

マ、ちびすけも成長しますからネ。

日本の実家では窓ふきやら網戸洗いやら、老父母にはこたえる年の瀬の家事がたっぷり待ち受けてました。

滞在中、「SMAP×SMAP」最終回など気になるテレビ番組もありましたが、時差ボケ抱え撃沈ばかりのワタシは観ること叶わず(紅白またしかりでした)。

でも日々快晴で、富士山がくっきり見えましたヨ。老父母と出かけた熱海の温泉の帰りに十国峠まで足を延ばすと、くっきりもくっきり。

写真におさめようとスマホかざそうとしたら、同じようにパチパチやっている観光客の大半が外国人なのに気づきました。芦ノ湖のほとりでキャーキャーやっている若者たちから聞えてくるのも中国語や韓国語。

パリではワタシのほうが外国人なのでなんだか不思議な気分です。

機内の大平燕(タイピーエン)には焼きおにぎりもついていて、春雨を食べ終わったらスープに落として食べる趣向です。

これがまたよろしかったんですヨ。表面がパサッと乾いたなりの三角むすびが、どういう工夫か汁の中でさっとほどける。

米粒がうまあい具合にスープを吸い、実に塩梅のいい雑炊風になりました。

驚くかな最後のひとさじをすくうと、容器の汁がきれいさっぱりなくなるまでになる。機内食用によく研究開発されているもンですネ。

7プレートが片付けられ、映画を観るのにも飽きて80年代歌謡曲やら「ジェットストリーム」やらから気忙しく選曲していると、機体がグーっと傾いて丸窓からパリ近郊の森や高速道路が見えてきました。


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芦ノ湖のほとりで富士山を眺めてからパチリ。食べ物屋の料理サンプルってはげしくはげッしく心をソソリます。フランスに存在しませんしね。

前菜は、さいの目かまぼことトマトのサラダ
主菜は、カレー粉を少々ふった七面鳥腿肉ロースト、じゃがいもクリーム和え、いんげん塩茹で、グリーンサラダ


立ち呑み日記・ピロートーク [真夜中]

枕を買いに行きました。

これまで毎晩頭をのせていた枕が、気がついたら13歳のムスメに乗っ取られてたんです。

子どもって枕などあってもなくても同じですよネ、11歳のムスコなど、枕は「邪魔」といって、それこそ枕元に置くのも嫌がります。

ムスメも長らくそうだったんですが、自我の芽生えとともに体型も大人っぽくなり、しっかりした枕がないとベッドで身体を支えづらくなった。

それまでの枕も羽枕でしたがムスメ用に買ったわけではなく、もういいトシのオットが物心ついたころにはもう家にあったという年季モノで、ぺっしゃんこにあたらずとも遠からず、という代物。

それだって年少児の頭にはちょうどいいくらいの薄さだし、ワルガキ出現以前はワタシら夫婦もこの枕を二つ重ねで使っていたくらいです。

「捨てる」という概念が乏しいフランスだからこそでしょうが、枕ってこちらの古い家にはなぜかたくさんあるんですね。

枕といいますか、クッションですが。それに加えトラヴェルサンという、ベッドに横渡しにする円筒形クッションなども、あります。

うちにも古いトラヴェルサンがあるんですヨ、古いも古い、戦前のものであるのは確か。

人にもよりましょうが、うちのオトーサン(ワタシのオットです)など多くのフランス人は、枕など家庭用品が以前から家にあるというならそれを踏襲して使用するのが当然、と、考えるものなんです。

そして、
「枕が合わない」
と、嘆く。

なにしろうちのトラベルサンといったら中に詰まっているのが藁(わら)という年代もの、これにぺっしゃんこの羽枕を重ねても、寄る年波で首が痛くなるばかりです。

ではいざ新規購入かというとさにあらず、
「使ってない枕ない?」
と、近しい親戚に訊ねる。

親戚の屋根裏には大叔母の遺品であるセミダブル用枕が眠っていたので、これを譲り受けました。それだって半世紀ゆうに寝かせた遺物で、中の綿がゴワゴワ。横になるそばから頭が痛くなりました。

「こんな生活もうイヤッ」
と、立ち上がったのが、日本人ツマ(ワタシです)。

デパートで上等の羽枕を買い求め、夫婦のベッドの古色蒼然と入れ替えました。

にっくき古色蒼然など捨ててやるーッ、
と、思わないこともなかったですが、マ、ここは捨てるのがニガテなフランス人オットをたて、今もベッドわきにころがしてあります。

今回改めて買うワタシ用羽枕は、以前買ったものと寸分たがわぬもの。

初めて知ったんですけど、枕って寿命があるんですってネ。そばがらで1年、ポリエステルや綿で3年、羽枕で5年といいますから、思いのほか短命。

形見として受け継ぐものでもなさそうです。

それどころか、オットの枕もムスメにとられたのも、購入したのはワタシら夫婦の新婚間もないころで、寿命でいったらもうとっくのとうに切れてる。

わが新しい羽枕、ふっくらしてとおってもヨイです。朝起き上がるのが辛いくらいよく眠れます。

枕といえば、座布団を二つ折りにして、昼下がりに陽の当たる畳の上でうとうとするくらい気持ちいい枕は他になかった気がします(耳掃除してくれるオカーサンのひざまくら、テナ思い出のある人もいるかもナ)。


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雨だと暖かいですネ。

前菜は、ツナ缶と缶詰緑オリーブとエシャロットのペーストと固くなったパンのトースト、残りのカボチャスープ
主菜は、残りの鶏ロースト、じゃがいものニンニクソテー、モロッコいんげん塩茹で

立ち呑み日記・夜行列車 [真夜中]

ひとは寝台車にのると、かつて寝台車にのった日々のことを思い出すものだなあ、
と、寝台車に揺られながら思いましたね。

夏休みとなり、毎年お世話になっている友人宅のあるスペイン国境に近い寒村へ、今回は夜行列車で行ったんです。

パリ・オーステルリッツ駅22時45分発、トゥールーズ駅翌朝6時50分着。昼間のTGV新幹線なら5時間の距離です。

トゥールーズから在来線に乗り継ぎますが、かつてはその最寄駅までパリから直行があったそうな。

「我が子と頭を並べることになるとはねえ・・」
と、寝台の下段で知らず知らず体育座りになっているオット。オットは独身時代、友人宅へ行くのにパリから直行線の二等寝台によく乗ったものだそうです。

(卒業旅行、思い出すなあ・・)
と、ワタシもまた持参のロゼワインを紙コップに手酌(じゃく)でやりながら感慨にふけりました。

社会人になる前の春休み、大型リュックに『地球の歩き方』(当時の)と『トーマスクック時刻表』をつっこんで、ユーレイルパスという欧州全域鉄道乗り放題の定期券とパスポートを後生大事と首から下げ、寝台車を宿がわりに、街から街へ旅したもンです。

パリからバルセロナへ向かったときは、深夜の国境駅でいったん降ろされてパスポートコントロールがあり、スペインに入ると線路の幅が変わるのに合わせて車輪の幅も自動で変わるのをじーと見つめたものでした・・

・・テナこと思い出しながら、ロゼをぐびり。あのころは、寝台でワインなんて思いもよらなかったなあ・・

そもそも水(ミネラルウォーター)を「買う」というのがすでに慣れないことこの上なかったです。

「貴重品にはくれぐれも注意してください」
と、車掌さんに言われたのが、唯一これまでと同じでした。

今回は少々奢(おご)って一等寝台、上下二段を四人家族で占め、完全な個室となります。

ドアには鍵が二つもついていて、
「いずれもしっかり閉めて寝てください」
と、車掌さん。

貴重品はドアから遠いところへ置け、と、こうです。

国際夜行列車では睡眠薬入りの飲み物や食べ物をすすめる泥棒の話を耳にするものの、さすがにそこまではいかず、
「コソ泥がいないとも限らない、というわけですよ」

寝台には巨大封筒みたいな寝袋が畳まれていて、これを各自が敷きます。

22時45分発といったら、晩ごはんを終えてあとは寝るだけ、という時間。通路で騒ぐ人もなく、すぐさまひっそり、どの個室のドアも閉まったようです。

その中で、われわれ家族だけがやや度を越して興奮し、列車が走り出してしばらくしたところでトントンとドアをノックされたもよう。

ひとまず反省し、声を落としました。

「夜汽車に揺られて・・」なんて流行歌などにありますけど、ホントにとおっても揺れるんですネ、何度も目が覚めました。

到着前には朝食サービス(有料)があるというので2人前だけとってみました。温かい飲み物、オレンジジュース、ケーキ一片、フルーツコンポートで6.9ユーロ(約1000円)ナリ。

これらを、四人で歯もみがかずぱくつくうちに列車はトゥールーズ駅にすべりこみました。


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バカンス友と、ただ今より川遊びへ行くところ。

前菜は、プチトマト、ニンジン千切りサラダ
主菜は、ハンバーグステーキ、じゃがいもソテー、ブロッコリー塩茹で


立ち呑み日記・窓から屋根へ [真夜中]

ここに窓がある。

この窓を見ると、ひとはなぜ、
「ここから屋根へよじのぼってみよう」
と、思うものなんだか。

この窓はうちの建物の屋根裏階にあり、アンテナ修理などで職人さんがここから屋根の上へ出て行く「玄関」、とも、いえます。

先日未明、何者かがこの窓から屋根に上がっちゃったんですね。その屋根の薄いトタンのすぐ下が我が家で、どん、どん、という足音でうっすら目が覚めました。

本来人がいるべきでないところに誰かいるって実に気味悪いですネ。

「飛び降りたらだめッ、早くお帰りなさい」
と、隣人が窓から叫ぶ声も聞こえてきた。

「そこまで聞いてたンならなぜ出て来てくれなかったのよ」
と、後で隣人にくさされましたが、なにしろコワくて、暑いというのにかけぶとん頭までひっかぶり、(ナンマイダ、ナンマイダ・・)の心境でした。

なにしろ薄皮いちまいのところに不審人物がいる。

うちの寝室の窓は隣人宅の一段低い平屋根の一部に面しているんですが、この不審人物は、どッすん、と、盛大な音を立ててトタン屋根から平屋根に飛び移り、スマホをとりだし誰かとしゃべっているもよう。

その影が、カーテン越しにくっきり見えます。

昨今のスマホって懐中電灯がついてますよね、それを点灯し、(ナンマイダ・・)と肝をつぶしているひとさま(ワタシとオットです。オットはユダヤ人なのでまた違うお祈りの仕方ですが)の寝室のカーテンの隙間から、無礼にものぞきこむように照らしたり、する。

それでもかけぶとんひっかぶった効果が奏し、そのままうとうとしてわからなくなりました。どッすん、と、途中、どこかへ飛び降りる音を聞いた、ような、気も、します。

後で知りましたが、うちの一階は明け方までやっている若者向けバーなんですが、その閉店後、住居階にまぎれこんできたお客の青年だったらしいです。

この青年はドラッグで気分高揚していたもよう。

窓に行きつく前に隣人宅をドンドンし、
「中に入れてくれ」
とも、やった(そうです)。

隣人はとにもかくにも警察に通報。

それから窓の外の様子をうかがうと、なんと、青年が屋根のへりに座って足をぶらぶらさせたり、下をのぞきこんではしゃいだり、していたというんです。

「目の前で飛び降りられたらと思うと気が気でなかった」
と、隣人。

そんなこんなの中でふとんひっかぶっていたわけですから、なじられて当然です。

警察官は三名並んで来て事情を徴収したそうですが、肝心の屋根の上へは、
「規則で屋根へは上ってはならないんです」
の一点ばりだったそう。

高所の危険に対する訓練が出来ていないからだそうで、上っていいのは警察の中でも特別部隊、ないしは消防士のみなんだそうです。

そうやって押し問答しているうちに、屋根から人の気配が消えたと言います。パリの建物は密集して屋根から屋根へ渡り歩くことが出来るとも聞きますが。

近隣で人身事故の噂を聞かないところによると、青年はちゃんと家へ帰ったようです。


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気持ちよさそうなカフェのテラスを通りがかりにパチリ。

前菜は、メロン
主菜は、鶏ロースト、じゃがいもロースト、いんげん塩茹で、トマトサラダ



立ち呑み日記・未来に戻る2 [真夜中]

「『バッツク・トゥー・ザ・フューチャー』を久しぶりに観よう」
と、週末の夜にワルガキ二匹が言い出し、晩ごはんの後にみんなでテレビの前に集まりました。

手に汗握って「1」を鑑賞した後は、どうしたって続けて「2」です。

今年はこのシリーズが生まれて30年という年。ロンドンではミュージカル版が公演されているんだそうな。

なるほどなあ・・
と、思わずにいられません。

映画が封切られた1985年、胸躍らせて銀幕にかぶりついた若者(ワタシらです)も相応にトシを重ね、子育てなんかも一段落してミュージカルを見にいくお財布と心の余裕もできた、ト、そういうことでありましょう。

時は過ぎますねえ・・

あとイギリスだったか、アメリカだったか、映画に登場する1950年代の街を模したテーマパークみたいなのが期間限定でできたらしい・・とまあうろ憶えなんですけど、そんなニュースもインターネットで見つけたことがありました。

「バック・トゥー・ザ・フューチャー」1と2は、1985年からタイムマシンにのって30年前の1955年、次いで30年後の2015年へ行く冒険物語。

その近未来の2015年が今年なんですもんねえ・・

映画の中の2015年が今日と決定的に違うのが、街をそぞろあるく人々です。当時考えた2015年では全員手ぶら。一人としてスマホをいじっている人がいない。

映画には、80年代をテーマにしたレトロカフェも登場します。

「今がレトロ?!」
と、この映画が封切られた当時、映画館ではくすくす笑いが巻き起こったものですが、今観ればレトロもレトロ。

マイケルジャクソンの「ビート・イット」が流れ、ボックス型のパソコンが古道具として売りに出ている。

その中に、1985年から来たマイケル・J・フォックスがほうりこまれるわけですが、「若い!」と、どうしたって画面のコッチ側で声を上げずにいられません。

想像してみてくださいナ。今、この場に1985年当時の聖子ちゃんカットの、ないしは紺のスラックスにストライプのコットンシャツで『ポパイ』小脇に抱えた、あなたが現れるんです。

今会う当時の自分に、どんな言葉をかけたらいいんだか。スタバにでもとりあえず連れて行きましょうか。

2015年のマイケル・J・フォックス(扮するマーティー)とその妻は47歳、堅実な中上流のサラリーマン家庭を築いていますが、日本人の上司から「クビだーッ」と、一方的な態度で命じられたりします。

ジャパンアズナンバーワンの時代も確かにあったかもしれませんが、現実の2015年ではバブル経済終焉して久しく、あのテの傲岸な日本人などそうめったにいそうにありません。

そう、バブルの日々もあったけれど、阪神大震災も、東北大震災も、あった。

マイケル・J・フォックスもまた、長らくパーキンソン病と戦い、昨年、「マイケル・J・フォックス・ショー」という主演コメディー番組でみごと返り咲いたそうですってネ。

ドク役のクリストファー・ロイドは今年、白髪がまさにぴったりの御年75歳。

彼らの、現実の2015年版を観てみたいです。


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寒さにうちふるえつつ信号を待ちながらパチリ。このホテルにその昔、福沢諭吉ら欧州使節団が宿泊しました。

前菜は、トマトサラダ
主菜は、鶏ロースト、じゃがいもロースト、モロッコいんげん塩茹で、グリーンサラダ


立ち呑み日記・オニグラ [真夜中]

オニオングラタンスープ専門店が東京の表参道に出来る、というニュースを見つけました。

ヘーエ、オニオングラタンスープだけで成り立つのかしらねえ・・・と思ったら、オニグラ、とこう短縮して呼ばれるほど世に浸透しているものだそうです。

表参道のキャットストリートというコジャレた場所柄、若い世代がターゲットだと思うんですが、オニグラはいつごろから青少年の心をつかんだのか。

ミクシィで探してみると、「全日本オニグラ部」というコミュニティが2007年に立ち上がっています。

中を覗くと、大学、それも陸の王者とほまれ高い慶応大学の学園祭でオニオングラタンスープの模擬店をお出しになり、しかも学内の中規模模擬店大賞第一位を獲得なさっている。ヘーエ、オニオングラタンスープがねえ・・

だってフランスでオニオングラタンス―プといったら、おばあちゃんの料理の部類ですゾ。

もともとはパリの真ん中レ・アールというところにあった築地のような中央卸売市場周辺の名物で、市場労働者が身体を温め力が出るからと夜食にした、と、喧伝されてますが、夜遊びの後に市場労働者と肩を並べて食べた世代は、今や70代にさしかかろうとしています。

最近の若いパリっ子はオニオングラタンスープなど見向きもしないのではないでしょうか。夜遊びで小腹が空いたら間違いなくケバブでありましょう。

ワタシが語学留学生だった80年代後半の時点でもう、ディスコ帰りに「食べて帰ろう」とはなりませんでした。

80年代はヌーベルキュイジーヌの時代。軽やかな料理至を良しとし、旧時代のどっぷりしたスープを見捨て、使われなくなったスープスプーンが蚤の市に大量に出回った時代です。

とはいえ今なおどのカフェのメニューにもオニオングラタンスープは、あるんですヨ。アッツアツだし食べでがあるし、寒い日のかっこうのスナックではあります。

ただ、パリっ子が食べている姿をそうは見かけない気がするんですよねえ・・

湯気を浴びてスプーンをつかっているのはたいてい英国人の観光客。ひところの日本人がフランス料理というとエスカルゴをすぐさま思い描いたように、英国人は「オニオングラタンスープ」とこう、打てば響くように思い描くようになってるみたいです。

オニオングラタンスープは寒い季節の夜食ですが、英語メニューを置く観光スポット周辺のカフェでは夏の昼でも前菜に舌鼓を打っているひとをよく見かけます。

そのオニオングラタンスープがオニグラとこう短縮して親しまれ、東京の一等地に進出なるとは。しかも前座(前菜)ですらなく、一枚看板として君臨する。

なんでまたオニグラの一人勝ちなのか。ピザだってパスタだって、お腹にたまって食べやすいものならほかにもゴマンとあるっていうのに。

それに、「ガリガリくん」コーンポタージュ味が出るまでにコーンポタージュと緊密でいながら、コンポタ、などと呼ぶことは金輪際ないっていうのに。

「オニグラ食べに行かない?」
と、お若い方々は、エディット・ピアフの時代のごとく、おデートに誘っておられるわけですね。


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春近し。マルシェのチーズ屋さんにアヒルのが売ってました。鶏卵よりぐんと大きいんですが、写真が下手なせいでわかりづらいです。ごめんなさい。

前菜は、野菜ポタージュ
主菜は、鯛の塩焼き、いんげん塩茹で、赤ワイン煮の肉じゃが

立ち呑み日記・時差ボケです [真夜中]

晩ごはんが終わって、家族でDVDの『アダムスファミリー』を見始めたその時。ワタシも観ていたつもりだったんですが・・

ドスンバタンゴロリンッ、と、なんとまあ、イスから床へ派手に転げ落ちて目が覚めました。時差ボケおそるべし。年末年始の一時帰国から戻って4日もたつのにこのありさまです。

「時差ボケって翌々日が一番つらいのよね」
とは、きのう9歳のムスコのクラスの校外体育に付き添いで行ったら同様に来ていたマイケルくんのオカーサン。目をしょぼしょぼさせておられます。

マイケルくんは両親ともにアメリカ人で年末年始にはフィラデルフィアに帰省し、ここ数日時差ボケで急激に眠くなったかと思うと朝4時には目が覚めているのだそうです。

そうそう、そうなのよねえ、と、あい憐れみ、日米同盟の共感深まるまいことか。

時差ぼけの眠さってなんでまたああ獰猛(どうもう)なんだか。コックリコックリ舟をこぐ穏やかなものではなく、昏倒、失神、気絶、そういったたぐいの睡眠です。

眠くなるなり方も、夜更かしした時などにまず大あくびが出てそろそろ枕が恋しいなあ・・と、まぶたが重くなって来るのと違い、つい今しがたまで普通に行動していたのに不意にガツンと脳天を割られたごとく強烈に眠くなる。

運よくそこでベッドにもぐりこんだとしましょうか。

フワーンと眠りに入って行くのではなく、枕に頭をつけた瞬間から前後不覚で、夢さえ見ません。そしてはっと目覚めるんですが、このときがなかなか息苦しいんです。

ここが自宅なのか、先日まで滞在した実家の布団なのか、こんがらかる。はっ。もしやもしや自宅でも実家でもなく眠っちゃいけないところで眠りこんじゃったか。

心にあぶら汗かきながら、ありじごくの地底から這いあがる感じに覚醒してくると、やれやれ、ここはパリの自宅のベッド・・

で、暗がりに手を伸ばして目覚ましで時間を確認すると、てっきり夜が明けたかと思ったらまだ午前1時だったりするんですね。

この時の絶望感と焦燥感。頭の奥底は眠くて仕方ないのにもはやこれっぽっちも眠れないんです。

「だからなんとか眠くなるようフランス語の動詞の活用をするの」
と、マイケルくんのオカーサンはおっしゃってましたが。

でもそんなことしたらもっと目が冴えそうです。

ワタシはいったん起きてパソコンをいじったりします。で、ころあいをみてもう一度横になってみる。

いろいろな眠りの中でもっともも心地いのは、「まどろみ」でありましょう。とろとろ眠くなって、とろとろ眠りに入って行く。

「春眠暁を覚えず」の、春先のうたたねなんかがまさにそれ。

暖房のきいた居間のソファーで、ガタンゴトン揺れる電車で、ふっくら干し上がった布団で、まどろむヨロコビ・・

・・テナこと想像しながら、目が冴えてどうにもならないところを、なんとか眠る方向へもっていくわけです。


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「森でお散歩」だそうで、飼い犬のお散歩代行業者らしいです。

前菜は、胡麻油をふった赤かぶサラダ、ベルギーチコリとトマトのサラダ
主菜は、スパゲッティー・ミートソース、モロッコいんげん

立ち呑み日記・和食と洋食 [真夜中]

「洋食と和食、どちらになさいます?」
という質問にすかさず、「洋食で」

年末年始の一時帰国もあっという間に終わり、ただ今パリ行き飛行機の中です。

深夜1時半羽田発なので、うちで晩ごはんをゆっくり食べ、ワインも飲み、テレビ観ながら発泡酒なんかもついクイクイやり、9時半過ぎに、さてそろそろと実家を後にしたんです。

とはいうもののこのあと前夜同様に布団へもぐりこむのみという気がして、これから飛行機で12時間半の長旅が待っている実感がわいて来ません。

が、滞在中敷きっぱなしだった布団をあげて天日干しにすべきものは干し、洗うべきものは洗いすっかり片付けてしまったので、もはや寝場所は、なし。

深夜ひっそり日本を発つことになるだろうと羽田国際線出発ロビーに着いてみれば意外や意外、明治神宮の初詣もかくやのたいへんな行列です。

羽田発の深夜便ってパリ行きだけでなくいろいろあるんですネ。

並びに並んでようやく搭乗券を手にしましたが、ひと息つくにはまだ早く、もうひとつ行列の尻尾について税関をくぐらないとなりません。

「深夜便なら食べ物持参したほうがいいわヨ」
と、パリの日本人オカーサン仲間から入れ知恵があったので、万一に備えおにぎりとゆで卵のどっさり入った手提げを抱えています。

このオカーサン仲間は機内食をたのしみに乗り込んだところ、離陸して平行飛行になったとたんに照明が落とされ、出ると思い込んでいた通常一回目の機内食が出なかったのですきっ腹抱えて往生したそうです。

午前1時半発で到着が現地時間の朝6時ですから、眠りやすい環境がすぐさまととのえられるほうが理にかなっているともいえますが。

ワタシら家族もシートベルト着用のランプが消えてシートをたおすや即座に正体不明となりました。

ずいぶんたって目が覚めたので映画などぼんやり観ているとにわかに明るくなり、通路をワゴンがしずしずとやって来ます。

そこでこの文章の冒頭の質問です。実家でおせちをさんざんつめこんで来たので、気分を変えて洋食と思ったわけですね。

「まこッとにありがとうございますッ」
と、するとキャビンアテンダントさんは最敬礼をもって謝辞をお述べになられました。
「洋食はコーンスープがそれはもうとおーってもよろしゅうございますよ」

ハハーン、さては和食ばっかりが出て困っておられたんだナ、と、ワゴンの状況がうっすらわかった気がしました。

じっさい周囲を見回しても、笹の葉にくるまれたご飯つき幕の内弁当ばかりが並んでいます。では洋食をいただきましょうか、と、四角い器のアルミをめくりました。

ウーム・・

主菜は、じゃがいもピューレにかけられたコーンスープ。いえね味は美味しいんですヨ。でも生ぬるくってなぜこの組み合わせにしたのか歯ごたえが全然なくって、なんといいますか、機内食というより病人食、その印象が否めない。

横に添えられた南仏野菜のサンドイッチがまたひんやりもひーんやり、解凍したてのお味。

なるほどそういうことであったか、と、周囲でさかんに湯気を上げているお味噌汁をうらやましく眺め、でもまあせっかくですから最後までいただきました。


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パリ市庁舎の前に無料スケートリンクが出来ているんですが貸靴(有料)に大変な行列です。

前菜は、サラダ・ピエモンテ(トマトとゆで卵とじゃがいものマヨヨーグルト和えサラダ)
主菜は、鶏ロースト、じゃがいもロースト、いんげん塩茹で、グリーンサラダ

立ち呑み日記・真空モンダイ [真夜中]

一時帰国して日本の実家に荷をおろして一夜明け、あいもかわらぬ時差ボケでお腹空かせて目覚めた早朝。

「きのうのポトフを温めてまた食べたい」
と、フランス人のオトーサン(ワタシのオットです)が言い出しました。

ガイジンの婿のためにワタシの母が一時帰国というときまって前日から大鍋いっぱい作っておいてくれるものです。

そこでそーっと台所へ行きガス台の奥に置かれたステンレスの寸胴鍋を、よっこらしょ、と、手前に引き寄せ、火をつけます。

またたく間にぐつぐつしてきたので火を止め深皿に、牛肉とじゃがいもとニンジンあたりをとってあげましょうか。

「オー、セ・ボ~ン」
と、スープをひと口飲みこみ、腹の底から絞り出したような声をあげるフランス人。

深夜のラーメンなんかでもそうですが、スープのひと口めって、格別ですよネ。肉の、野菜のエキスが五臓六腑に沁み渡る感じ。

もうひと口、またひと口、さらにひと口、さらにまたひと口、と、スプーンをひらりひらりと動かし、たちまちに深皿から汁気がなくなりました。

とにもかくにもスープだけおかわりと言うので、牛肉と野菜にはまだ手をつけてない深皿へ寸胴鍋から熱いところを注いであげようとします。

ところが、ありゃま、鍋のフタがとれない。

さっき蓋を閉めたら真空状態になっちゃったもよう。お椀なら両方からグッと押せばパカリとフタがはずれますが。ステンレスの寸胴鍋は頑強で、両側から押したぐらいではウンともスンともいいません。

さてどうしたものか。

困ったわねえ、と、日本人のツマ(ワタシです)は完成度の高い日本製品をややうらめしく思いましたね。これがフランス製だとフタが少々歪んでたりして完全にぴっちりとは閉まらなかったり、する。

コンコン、と、こういうときって意味なく鍋をノックしてみたり、するもンですネ。あいにく内側から返答はなし。

鍋を傾けたら空気が動くかな、と、そおーっと傾けてみる。ただしここでうまく開いたとしてスープがこぼれてガス台がたいへんなことになります。

卓上ナイフを持って来て、鍋とフタの間に差しこもうとするも、うまくいかず。

オットは無類のスープ男でさっきの一杯ではとうてい足りず、深皿の中でしんしんとさめかけている肉と野菜を温かく食べるためにもなんとしてももう一杯は欲しいおねがいどうかたすけて、と、神に祈らんばかりです。

鍋の真空モンダイは世にひんぱんに巻き起こっているらしく、「どうしたらいいでしょうッ」というお悩み相談をヤフー知恵袋などたくさん見つけました。

もう一度火をつけぐらぐらさせるといいんだそうです。

ただし、それは後で冷静になってゆっくり検索して知ったことで、このときは焦って引っ張ったり叩いたりしているのみ。

大好物を鼻の先に掲げられて頭掻きむしらんばかりのオットに、仕方ない、別の小鍋でお湯を沸かし手近のだしの素と味噌で具なしの味噌汁にして深皿に投下してあげました。


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早朝からお菓子をパクつくのは時差ボケだからまあ許すとしてゴミをそのへんにポイしたまま持参の本を読みだしたので「コラちゃんと片付けなさいッ」と鹿爪らしくやりました。

前菜は、かまぼこ、カラスミ、イクラ、フグの卵の粕漬け(金沢の名産珍味だそうです)
主菜は、鴨なべ

立ち呑み日記・さらばFAX機 [真夜中]

とうとうファックス電話機を粗大ゴミに出しました。

ピーピョロロロー・・と、耳をつんざく鋭い音でファックスが届くことも、久しくないですしね。また、送信されても、どこかが壊れたらしく、受けとれない。

電話として使っていましたが受話器もまた寿命が来ていて、だましだましでないと聞こえない。時にまったく聞こえない。

それもこれも今日でおしまい。

このファックス電話機を据えたのは、13、4年前でしょうか。それまで使っていたものが赤い光をピコピコさせたまま突然ウンともスンとも言わなくなり、すわ一大事と机からガバッと立ちあがりざま買いに走ったものです。

ワタシはまるっきり売れてないフリーライターなんですが、このとき、原稿納品と校正のやりとりの真っただ中でした。

「仕事道具なんだからファックスはちゃんとした事務機をお買いなさいよ」
と、結婚でパリに移住する時、属していた編集プロダクションの辣腕社長にじゅうじゅうと言われたものでした。

ところがまあ、フランスのファックス機の値段の高いことといったらオハナシになりません。

そのころ日本では家庭に普及し始め、確か3万円くらいからあったものですが、フランスでは家庭用のものでも円に換算すると10万円だか平気でした。

その前年、ワタシがまだ編集部にいたころ、パリ在住のジャーナリストの方に原稿を依頼したところ、
「ファックスでのやりとりとなるがよろしいか」
と、念を押されたので、日本では当たり前のことですから
「もちろんよろしくおねがいいたします」
と、答えました。

つつがなく原稿をいただき、校正まで何度もファックスのやりとりがあり、後で経費としてファックス送信代を一通一通の領収書とともに請求されたのには、なかなかたまげました。

そのころパリでは、会社はともかく個人事務所にファックスは浸透しておらず、国際電話も値が張りますから必要に応じて郵便局に出向いて送るものだったようです。

この時代を分水嶺としてフランスでも家庭用ファックスが普及し始め、ワタシも清水の舞台から飛び降りる心境で、メーカー名不明の格安品を一台買いました。

格安といっても日本の倍はしました。が、あっという間もなく故障。

それから何台故障しては買い換えたでしょうか。買い換えるたびに価格が安くなっていく感がありました。

日本の仕事開始の時間にあたる、こちらの午前3時から4時のしずまりかえった時間にきまってけたたましく電話が鳴り響き、ピーピョロロロー・・と、届いたものでした。

こちらから送る時は、なにしろ国際電話ですから、
「一秒でもはやく入れーッ」
と、念じたもンです。

今、家電量販店にはもうファクシミリは置いてないもよう。そう、ファックス草創期は、ファックスでなく「ファクシミリ」ってちゃんと呼んでましたよネ。

ワタシら世代は、バブルからこのかたファクシミリの栄枯盛衰に立ち会ってきました。

今、古い仲間を切り捨て断腸の思い・・かというとそうでもなく、スペースが片付いてスーッキリしました。


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そしてこうなりました。

前菜は、ニンジン千切りサラダ
主菜は、鶏ロースト、じゃがいもロースト、いんげん塩茹で、グリーンサラダ

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